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合同会社 医療介護連携研究所

穏やかな死を支える環境づくりに挑む医者になろう

ai1_2私は以前、大学病院で消化器外科の医師をしていました。手術をしても再発する患者さんは多いのですが、その場合は民間病院にお願いすることから、患者さんを最期まで診ることができないというジレンマがありました。それなら民間病院で患者さんの経過を診ようと考え、民間病院に移って勤務していたのですが、患者さんの長い経過を診るうちに、人生の終末を、もっと充実させられるような医療がしたいと考えるようになりました。
若いころは「手術が成功して良かった」とか「患者さんが回復して嬉しい」ということにやりがいを感じていましたが、歳を重ねるうちに、患者さんの生活に目が向くようになり「手術は若い人に任せて、穏やかな死を支える環境づくりに挑む医者になろう」と考え、当研究所を設立し、今は在宅医療の充実に向けた活動をしています。

 

最期まで精いっぱい生きられる支援がしたい

病院に勤務していた時のこと、30代の胃がんの末期患者さんが、自宅に帰りたいと言いました。母親は連れて帰ると言ったのですが、父親は無理だと言って譲りません。結局は父への説得が間に合わず、その方は病院で亡くなったのですが、ご家族にも医療者にも後悔が残りました。だから私は、ご本人が帰りたいと希望すれば、ご家族が安心して合意できる環境づくりに力を入れたいと考えています。そのためには、地域住民が支え合えるようなコミュニティづくりや、在宅医療や訪問看護の強化、多職種の連携強化などが必要であり、それを目論み、人と人とを結びつけることから始めています。
在宅医療は、治療という視点だけでなく、患者さんの生活に入り込んで、その人が生きることを支えられるのが醍醐味です。以前、抗がん剤が効かなくなった末期の患者さんから、夕食を一緒に食べてほしいと言われました。長期にがんと闘い、闘い破れて、3年ぶりのお酒を一緒に呑んで騒いだのですが、その後は「あの日の酒は美味かったなぁ」と会うたび口にしながら、帰らぬ人となりました。この方と出会い、誰もが最期まで精いっぱい生きて、満足して死を迎えられるように支えるのも医療者の責務だと強く感じるようになりました。

 

命を預かり、その命を輝かせるために、

在宅医療の現場では、病院では見えなかった、患者さんのさまざまな思いに遭遇します。今、訪問診療に伺っている下半身麻痺の患者さんは、大動脈瘤の手術後に下半身麻痺になったようです。命を救うために致し方ない結果だったと思うのですが、その方にとっては医療者に対する不信感をお持ちのようでした。私は、麻痺を悔いて生きるのではなく、もっと毎日を充実させてほしいと願いながら診療をしていると、私たちに心を許して表情も明るくなっていきました。そして今は「私を家で看取ってや」と頼まれています。
そんな風に、たくさんの命を預かり、その命を輝かせるために、地域医療の充実に向けてこれからも活動していきたいと考えています。

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藍訪問看護ステーション

在宅看護の現場を知って多様な課題を実感

ai2_2病院勤務をしていた時に、「自宅に帰りたい」というがん末期の患者さんに出会うことがありました。「今、帰さなければもう帰れない」と思っても、それを主治医に強く押すことが出来ずにジレンマを感じることが多々ありました。そして、そのまま病院で亡くなる患者さんを見るたびに、「自宅に帰っても大丈夫!」と自信を持って主治医に言えるようになりたいと思ったのが、在宅看護に興味を持ったきっかけです。
初めは「一度訪問看護を経験してまた病院に戻ろう」というような軽い気持ちで在宅看護に関わりましたが、在宅の現場を知れば知るほど、課題の多さを実感するようになりました。最も課題だと感じたのは、福祉と医療がかけ離れ、病院での退院支援が独りよがりになっているということでした。私は行政の対応だけでは限界があると考え、民間の手で医療・介護・福祉をつなぎ、最期まで自宅で暮らせる街づくりに貢献したいと思うようになり、現在の役割を担おうと決めました。

 

ご本人の希望を叶えるケアは大きなやりがい

今は、医療福祉連携士として、訪問看護ステーションの経営と共に、医療・介護・福祉の壁を取り除けるような情報発信やコンサルテーションをしています。
訪問看護の魅力は、看護師自身の裁量でケアを提供し、次の訪問でそのケアの評価が目に見えて返ってくるところだと思います。その分責任は重いのですが、ご本人の希望を叶えることだけを考えてケアできるのは大きなやりがいです。
訪問看護のなかでは、数えきれないほどの感動の場面がありますが、印象に残っているのは、まだ若いがん末期の女性のこと。どうしてもお子さんの七五三に付き添いたいというご希望があったので、前日に腹水を抜いて、当日は晴れ着を着て七五三に行っていただきました。そしてお子さんの成長した姿を見て安心されたのか、その2日後に旦那さんの胸の中で帰らぬ人になりました。ご家族が亡くなるというのは耐え難いことですが、少しの悔いも残さないように精いっぱい関わっていただけるサポートは、訪問看護の役割だと考えています。

 

多くの方が自宅で素敵に過ごしていただけるように

日ごろ心がけているのは、ケアにご家族を巻き込んでいくということ。ご家族が取り巻くのではなく、入って来られるようにというのはいつも気にかけているところです。
また、ご家族がこれまでの人生を振り返る機会を提供することも、心がけていることのひとつ。たとえば、長年連れ添ったご夫婦の場合、空気のような存在になり、思い出話をする機会もないことだと思います。そんな時に、ご夫婦の馴初めを伺うと、照れながらも話してくださり、話に花が咲くものです。そんな風に、生きてきた道を一緒に振り返る和やかな時間は、第3者だから提供できることではないでしょうか。
これから目指すのは、ひとりでも多くの方々が自宅で素敵に過ごしていただけるようなサポートをすること。そのためには、在宅看護の充実が欠かせないことから、訪問看護ステーションの支援などにも尽力し、「この街なら最期まで安心して生きられる」と思える街づくりに貢献していきたいと考えています。

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きむ医療連携クリニック 

「受診するのは大変なんや」が耳に残って

ai3_2脳外科医として病院に勤務していたころ、外来診療時には脳卒中の後遺症を持つ多くの患者さんから「受診するのは大変なんや」という言葉を聞いていました。そしてあるとき「一度、患者さんのご自宅を訪ねてみよう」と思いたち、はじめて「往診」というのを経験しましたのですが、その時は迎えてくれた患者さんのホッとした表情が印象的であり、それがきっかけで地域医療に興味を持つようになりました。
その後も病院で勤務していましたが、脳外科医には体力的な限界があると実感することが多くなり、自分のこれからのキャリアを模索するようになっていきました。

 

自分自身がこれからやるべきことは何か?

私はこれまで多くの患者さんを救う中で、1分、1秒を争う診療を続けてきました。脳外科医は急性期の対応が主であり、病院勤務では、手術が終われば大きな役割は終了します。後遺症を残した患者さんには、その後の大変な人生が待っているわけですが、そこまで追うことはできません。私は症例数を増やして技術を磨き、多くの人の命を救うことを使命として仕事を続けてきましたが、「自分自身がこれからやるべきことは何か?」と考えたとき、ふと往診に行ったときの患者さんの表情が頭をよぎったのです。
そして「手術は若い人たちに任せて、これからは自宅で療養している人たちのために力を注ごう」と思った私は、きむ医療連携クリニックを設立し、訪問看護ステーションと連携しながら脳神経系疾患で自宅療養をされている方を中心に、訪問診療に携わることに決めました。

 

「心丈夫です」という言葉が嬉しい

訪問診療は、病院のように「よくなったら終わり」というのではなく、患者さんやそのご家族と深くかかわりながら、現状を維持して自宅で暮らし続けられるようにサポートするのですが、訪問すると安心してくださるということに、自分の存在価値を覚えるようになりました。よく言っていただくのは「心丈夫ですわ」という言葉。これは、信頼していただいているという証であり、この信頼を継続することが自分のこれからの仕事だと考えています。
先日も夜に往診の依頼が入り、急いで駆けつけたら、ベッドの下に患者さんが横たわるではありませんか。「ベッドから落ちたけど上にあげられなくて…」というご家族を前に、患者さんをベッドの上に持ち上げて「大丈夫ですよ」と言葉をかけると、ご家族は救われたような安堵の表情を見せてくれました。その時は、今の仕事にやりがいを感じるとともに、こんな医師の役割も超高齢社会の中では強く求められるのだと実感しました。
多くの人たちが最期まで住み慣れた家で暮らせる社会に、自分はどんなことで貢献できるのかを問いながら、これからも患者さんやご家族に真摯に向き合い、信頼され続けるよう努力していきたいと考えています。

きむ医療連携クリニック>>>